昭和40年9月29日 朝の御理解
「憎まれ子、世にはばかる」( 数秒間録音悪く聞き取れません )
おるのにもかかわらず、親の願いにもかかわらず、あんまあり出来ない。ところが、皮肉に、その、憎まれている子供の、その、我がこの方が、でけたり、成功したりするといったような、ま、ありですね。憎まれ子が世にはばかるような、あの、成功するといったようなことを申します。そういう、場合もあるですねえ。信心て言うのは、やはり、憎まれ子世にはばかるというような、あー、例に漏れない例がございます。というと、また、それとは反対にです。あの人が、おかげを頂く筈はない。あの人が、成功せんなら、誰が成功しようかと。と、いわゆる、衆目の目に留まるような場合がある。「ね」。あれは、明治の、(りんこん?)ですね。あれは、山田、あー、山形何とかといいましたね。有朋。山形有朋のお母さんでございましたね。この人は、必ず成功するんだと。自分の子供に対してですね。「ね」。この人は、必ず、末は、大将か、大臣かといったような、その成功するに違いないと、その親が定めておる。ですから、子供の、枕辺を通られるのに、決してその、枕辺を通られなかったと。必ずその、後ろを回って通られたというよなその話が残ってお りますもんね。親が、それだけ子供を信用しておる。私は、本当に、そういうくらいにですね。親から信用されるくらいの信心を頂きたいと思うですね。衆目からもです。あの人が、おかげ頂きなさらん筈はないと。ところが、その、本当にあの人が、おかげ頂きなさらん筈は無いと、と、衆目の目に留まるほどの、信心なら信心が、出けておりましてもです。おかげ頂けない人がおる。これは、私、自分のことを言うて可笑しいですけれども、私共の場合は、その、両方があるようですね。ある意味合いでは、憎まれ子、世にはばかりといったようなものも感じますです、私の場合。けども、その、大坪さんがおかげ頂かん筈はないと。いやあ、もう、あーたがおかげ頂かんはずはないと。また、私自身、自分もそう思うておった。私が、おかげ頂かん筈はないと。もし、私がおかげ頂かんなら、金光教の信心、いわゆる教祖の御教えというのは、あれは嘘だと。とまあ、豪語しておったですねえ。まあ、それは、今から考えてみると、大変な言い草だったけれども、それを、皆が、認めておられた。私の話を聞いて下さる方たちは、「ほんなごっですよ、貴方がおかげ頂きなさんなら、頂く人はありませんよ」と、いわれればいい、また、言われるくらいの信心を頂いておったということです、私自身。これは、今でも語り草に残っておりますけれども、私が、善導寺から、各地区地区に、お話に回っておった時分に、土井の久富組ですね。のほうに、毎月日を決めてお話に参ります。あっち、皆、信心がありますけれども、奥さんは、信心がなかった。けれども、まあ、私のお話を聞いて下さることもありゃ、また、信心のものが皆んな集まって来るけんでと言うて、その、こそこそ、まあ、逃げ出してから、本家に当たります、ま、久富繁雄さんの家が、本家に当たりますから、あちらに、その、まあ、済む間、共励会のすむ間、その、あちらに逃げ出してという時代があった。いわゆる、正樹さんのお父さんなんです。それがその、まあ、久富繁雄さんはその、甥になられるんですけれども、もし、当時、全然信心のしの字もなかった時代です。毎月この月に椛目の大坪さんが話に来てもらうが、「繁雄、一遍、あの人の話を聞いて見れ」ち言うて。「兎に角、一遍、あの人の話を聞いてみろ」ち。「もう、この人こそ、必ずこら、もう、甘木の親先生のごつなりなさる人ぞ」ち言うちからその、、言われよった。これは、息子である今の、正樹さん達にもそれを、言うておられたということ。「椛目の大坪さん。あの人は、甘木のその、安武先生のごつなられる人ぞ」ち、言う。もう、あすこんところの、おー、教会ども持たっしゃるこつなった時には、俺が一肌脱ごうと言うて、信心のないお父さんが言うておられたと。これは、言うなら、衆目の目に止まっておったという事。これは、信心のない私が、何時も、大城から電車で来て、歩いて、善導寺の町に入って、教会にお参りをすると。全然その、おー、やはり、変わった風体をしておりますね。夏も冬も変わらん、同じようなん着てから、破れカバン提げてから、修行中のことですから、善導寺までを通ります。あの時分に、何とか食産という食産会社がありまして、そこに、妹が、一時勤めておったことがあります。そこの、あの、所長さんという方が、いま、丁度、どこ当たりになるでしょうかね。あそこの前を通るんです。勿論、所長さんは、その、行き順の、あの人が兄ということは知らんのですけれども、あるときに、妹に言われた。何時もあの人は、ひいきったごとして、ここば、通らっしゃるが、あの人は、大した人にならっしゃる人ですばのちいうちから。その、所長さんが言われた。「あれは、私の兄でございます」と言う訳にもいかんもんじゃから、というような話がある。なんとはなし、どこからか、それがあった。今の、大坪ち言う食料品屋がありますが、私が、善導寺の町を、それで、何時も、通っております。もう、この人こそ、もう、神様んごつならっしゃるとじゃろ。ああいう、例えば、破れ服のような服をを着てさるきよりなさるけれどもです。ちょいと見てみなさい。あの人から、後光の差しよりなさるごたるち言うてその、言いよったとこう、今でもそれを言うてくれます。これは、お世辞ではなかった。と、私は思うです。「ね」。私自身がです。もう、本当に、教祖の御教えに取り組んで、一生懸命だったんですから。またその、例えば、取り組むだけじゃない。とても、ほんなら、これは、善導寺の、荒巻雄二郎先生がなさった修行だと。これは、石橋先生がなさった修行だと。これは、福岡の吉木先生がなさった修行げなと。桂先生は、こういう修行をなさったげなと。んなら、そういう修行をなさった方たちの先生方。とても、それは先生方でなければ出来んことであって、一信者の私共が、出来ることじゃないと、こう思うとった時代もあったけれどもです。「ね」。桂先生だって、吉木先生であって、石橋先生であって、やっぱり、人間じゃないかと。「ね」。人間が出来た修行が私に、出来ないはずがあるもんかと。勿論、教師なんかにはなろうと思った訳じゃなかったけれど。「ね」。人がした修行で、私は、出来ん筈がないと、私は思うたから、思うておったから、真似方でも、私は、その先生方の修行を私は、身に付けさせて頂こうと思うて、本気でさせて頂いておる。で、そういう時代ですから、どこのとこからか、それが、「ね」。例えば、椛目の近所の方たちも、それを言うて下さるです。なるほど、もう、本当に、それは、赤貧洗うがごとしという貧乏の中にです。もう、椛目の大坪さん方の鍋ん中でも見たらもう、びっくりすると。というような時代でもです。「ね」。当時は、妹の婿に当たります、池尻正というのが、私の義理の弟ですが、胸を患ってからもう、長い間休んでおりました。ああいう、貧乏しよりなさるとか、家に、病人があるとかといったような、暗い気がさらさら無かったという事これは、いうなら、衆目の目に留まっておった。「ね」。あの人は、おかげ頂きなさらんことはない。いや、私が、おかげ頂けん筈はないと。いわば、私も、人もです。それを確信させて頂けれるところのおかげ。ありますよ、「ね」。もう、ちょっと見た目には、あの人が、おかげ頂きなさらんはずはなか。もう、あれしこ熱心に。けども、あの人は、ほんなごつ、椛目には行ってござらんやった。親先生の目の前だけ。もう、家に帰ったら、もう、その信心は崩れておる。というようなことでは、だから、私は、おかげにゃならんと思う。だからですね、お互いが、本当に、熱心な信心を皆さんなさっておられます。「ね」。ですから、私は、おかげを頂かん筈はないというような思いも段々、つのって、大きくなってくるでしょう。また、信者だけではない。一般もです。はあ、あれだけの信心をして、おかげ頂かん筈はなかろとこう、まあ、衆目の目が、そういうところに、留まるようになります。自分もそう思っているのにかかわらず、おかげを受けられんならです。可笑しいですよ。「ね」。私共の場合です、「ね」。本当に、いわば、人見せだけの信心ではなくてです。私自身の、自分の信心と言うものも、それを、確信を持って信心を進めてきたということ。ここも一つ、おかげを頂かねばなりません。ただ、信心が、人並みの信心が出来ておるというだけじゃ出来ません、人並みなら、人並みだけ。だから、人並み以上の信心が出来ておるんですから、その、信心にものいわせて、それが、お広前であろうが、自分の家であろうが、職場であろうが、ま、あん男だけは違うばい、金光様の信心しよるきん違うと。職場ででも皆から、認められる信心。家庭でもです、家のお母さんが、やっぱ、椛目に参りよるが、「ね」。お母さんの言うことには、付いて行かにゃいおられんというようなです信心。また、反対に、家庭だけでは、とても良かお父さんやら、お母さんがあってもですね、椛目では認められないという人も、やっぱりあります。あれじゃいかんち言うてから、もう、信者同士が言いよる。信心しよって、どうしてあげなこつ言うじゃろか、するじゃろかというような。「ね」。本当に、おかげを頂いたとはです。もう、お互いが、もう、本当にあの人の信心は素晴らしいと。もう、とてもあの人の信心な、真似が出来んちいうごたる、やはり信心をさせてもらわにゃ出来んです。それを、人がにんべんなら、私は行にんべんと、と言うぐらいにです。「ね」。人並みの修行では、人並みのおかげ。人並み以上のおかげを頂くためには、人並み以上の信心が、なされても行かなければならない、それを、行の上にも表しても行かなければならない。そして、信心のあるものであろうが、無いものであろうがです。あの人が、あがしこ信心して、おかげ頂かっしゃらんなら、信心もいい加減なもん、といった様なものでは無くてです。「ね」。あのくらい熱心になるなら、やっぱ何をしたっちゃ、儲けだすばいち。あのくらい熱心にするなら、おかげ頂かんはずはなかばいち言うくらいにです。言われるくらいな、信心は、一つ、本気で付けたいと思うですねえ。だから、本当に、表から見ても、裏から見ても、「ね」。どこから覗かれても、やはり、信心、言うならば、同行二人というか、何時も神様と我、共にありというような思いでの信心。しかもそれに、迫力のある、修行でもさせて頂くというところにです。自分がおかげ頂かん筈はないという、確信も産まれて来るだろうし、また、それが、見せようじゃないけれども、何とはなしに人の目にも、そういう風に映ってくるだろう。そういう思いの中にです。そういう思いの中に、私は、おかげを頂くということはです。そういう思いの中に、支えられる。思いの中に、応援を受けておる。山形有朋の、それじゃないですけれども、もう、お母さん自身がです、子供の時から、子供を大臣として扱こうてござるということです。そういう、私は、思いに支えられて、成功するというわけなのです。皆の衆目の、もう、あげなやつはおかげ頂くもんかい、というようなものではなくてです。あの人が、おかげ頂かん筈はないというような思いでです。思いで、私は、この、おかげ頂いていけれるような、信心を頂かなければいけん。また、頂きたいものだと私は思うですね。どうぞ、おかげ頂かれてください。